II.4 日本の侵略拡大と国権守護運動①

 

-生きる中で-
日本の国権侵奪に対抗した人々
日本による韓国侵略が拡大する中、韓国人は様々な方法で国権を守るために努力し、侵奪に対抗して抗日義兵運動を起こし、日本に協力した人々を処断しようとした。 また、教義実力を育てるために学校を建て、国外に武官学校を設立して独立軍を養成した。

 

<考えを開く活動>
当時、自分ならどのような方法を選んだのだろうか。

 

(人物・左から)
抗日義兵運動を起こした柳麟錫
親日派の暗殺未遂事件の李在明
人材を育てようと学校を設立した安昌浩
国外で抗日運動を展開した李相龍

 

①日本が韓国を強制的に併合する写真は日本が「日韓併合記念」というタイトルで発行したはがきである。 はがきの右側には明治国王が刀を握っている写真を入れ、その横には菊と皇室を象徴する鳥を描いた。 そして大韓帝国の純宗皇帝の写真をその下に配置している。 帝国主義の道に入った日本は結局、韓国(한국)の国権を強奪し、韓国(한국)を強制併合するに至った。

 

<テーマに投げかける質問>
日本はどのような過程を経て韓国の国権を強制的に奪ったのだろうか。

 

日露戦争の勃発
(韓国では露日戦争 러일전쟁)
日本は日清戦争で勝利した後、軍事力を育て、韓半島に対する影響力を強化しようとした。 しかし日本は、ロシアが主導した三国干渉で、朝鮮での勢力が弱まった。 日本は勢力挽回のため乙未事変を起こしたが、露館播遷により朝鮮における日本の影響力は萎縮し、ロシアの発言権が大きくなった。

 

そんな中、中国で義和団運動が起こり、これを鎮圧するために日本をはじめとする列強は連合軍を構成した。 ロシアが義和団を鎮圧した後も満州に駐屯させた軍隊を撤退させなかったため、イギリスと日本はロシアを牽制するために第一次日英同盟(1902)を締結した。 この頃、ロシアは鴨緑江一帯の森林採伐権を保護するという口実で、韓国の龍岩浦を占領した。

 

ロシアの膨張が韓国を掌握するうえで脅威になると懸念した日本は、ロシアとの戦争を準備した。 このような中、日本軍は仁川港と旅順港に停泊していたロシア軍艦を奇襲攻撃し、戦争を起こした(日露戦争、1904)。 日本が旅順港を陥落して東海でロシアのバルト艦隊を撃破するなど、戦争の勝機をつかむと、ロシアは、米国の仲裁で日本とポーツマス条約(1905)を締結した。

 

 


韓日議定書と日本の内政干渉
ロシアと日本が戦争する兆しを見せると、大韓帝国政府は「戦時国外中立」を宣言した。 これは、韓国を中立地帯に保障し、韓国領土が戦場になることを防ぐためだった。 しかし、日本はこれを無視して戦争を起こし、漢城に軍隊を駐屯させ、日韓議定書の締結を強要した(1904.2)。 これを締結し、日本は戦争遂行に必要な場合、韓国領土を軍事基地として使用する権利を獲得した。 また、韓国の内政に干渉し、ロシアをはじめとする列強に接近することを防いだ。

 

日本は日露戦争で戦勢が有利になると、韓国の保護国化計画を設けた。これによって、日本は韓国に第1次韓日協約(外国人顧問傭聘に関する協定書)の締結を強要し(1904.8)財政顧問として日本人・目賀田を、外交顧問として米国であるスティーブンスを派遣した。 これにより、日本は韓国の財政と外交に本格的に干渉した。

 

 

乙巳勒約と外交権強奪
日露戦争で勝機をつかんだ日本は1905年7月、米国と桂・タフト密約を締結した。 ここで日本は米国のフィリピン支配を認め、米国から韓国に対する支配権を認められた。 さらに、日本は英国と第2次日英同盟を結び、韓国支配の承認を受けた。 また、日露戦争後に締結したポーツマス条約で韓国を指導・保護・監理する権利が保障された。

 

このように日本は日露戦争以降、列強から韓国支配を認められ、直ちに韓国に対する保護国化作業に取り組んだ。 1905年11月、日本政府の特使として来た伊藤博文は、日本軍を動員した状態で、高宗と大臣たちを脅して、乙巳勒約を強圧的に締結した。 日本は、乙巳勒約によって、韓国の外交権を奪い統監府を設置した。 その後、伊藤博文が初代統監に着任し、韓国の外交業務を担当した。 これにより日本は韓国の国権を本格的に侵奪した。

 

乙巳勒約の不当性
乙巳勒約の先頭には条約の名称を書く間が空いている。 一番後ろには外務大臣の朴斉純(パク・ジェスン)の印鑑があるが、朴斉純は高宗の委任を受けなかった。 この条約が効力を有するためには、皇帝の批准を受けなければならないが、高宗は最後までこれを拒んだ。 皇帝の批准なしに締結された乙巳勒約は国際法上でも無効である。 また、乙巳勒約は日本の軍事的脅威の中で締結されたが、右図は、当時の状況を風刺した批評だ。 この漫評のタイトルである『日韓協約島』でで "協" の字を、脅かすという意味の "脅" で書いた。 条約締結当時に高宗はなかったが、高宗が条約締結に憤る姿を入れて乙巳勒約が強制的に締結されたことを力説した。

 

 

高宗の強制退位
乙巳勒約が締結されると、高宗は条約の無効を宣言して国際社会の支援を受けるための外交活動を行った。 まず、米国に特使を送り、韓国の独立を助けてほしいと要請したが、すでに日本の韓国支配を承認した米国はこれを拒否した。 高宗は1907年、オランダのハーグで開催される万国平和会議にも李儁、李相卨、李瑋鍾を特使として派遣した。 しかし、日本などの妨害により成果を上げることができず、日本はこれを口実に高宗を強制退位させ、純宗を即位させた。

 

その後、日本は丁未七条約(韓日新協約)を強制的に締結し、統監が韓国の法令制定、高等官吏の任免など内政権を掌握した。 続いて日本は秘密裏に付属覚書を結び、日本人を各部の次官など韓国の官吏に任命し、大韓帝国の軍隊を解散させた。 解散した軍人の一部は日本軍に抵抗したが、義兵闘争に合流した。

 

 

日本の韓国強制併合
日本は1909年から韓国併合の準備を本格化させた。 1909年7月には韓国の司法権と監獄の管理権を奪い、裁判所と軍部を廃止し、10月には安重根が伊藤博文を処断した事件を口実に韓国併合に対する世論を誘導した。 さらに、親日団体である一進会が大韓帝国の皇帝と統監に併合請願書を提出した。

 

日本は、ロシア、イギリス、フランスから韓国併合が承認され、韓国併合条約を強制締結した(1910.8.22) この条約の締結により国権を喪失した大韓帝国は "朝鮮" と呼ばれ、朝鮮総督が最高統治者として君臨した。 大韓帝国の最高統治者であった高宗は "李太王" 、純宗は "太王" という呼称で地位が格下げされた。

 

(本文右注釈⑥)
6.日帝の韓国併合
日帝は韓国の国権を強奪する際、侵略性を隠す用語を探した。 "併呑(병탄)" は強い国が弱い国を侵略するという意味なので侵略性が表われ、 "合邦" は両国が対等な関係で合併するという意味なので使用できなかった。 結局、日帝は韓国を日本領土の一部にするという意味を含みながらも、 "併呑" より侵略的意味が弱い "併合" という言葉を作り出した。 しかし日帝の韓国 "併合" は事実上 "併呑" だった。

 

 

当時、列強はアジアを植民地として支配することをどのように考えたのだろうか。

・イギリスはインドにおいて破壊の使命と再生の使命を果たさなければならない。 古いアジア社会を破壊することと、西欧社会の物質的基礎をアジアに築くことだ。
-カール・マルクスが見た英国のインド支配(ニューヨーク・デイリー・トリビューン、1853.8.5)

・日本は近隣諸国に合法的な利害関係を持っていたため、古いこの王国(韓国)を改革して活気づくようにしてきました。 どのような批判が出ても、世界は伊藤公と日本が韓国において後進的民衆の正義、文明、福祉のための政策を樹立・推進していると信じています。 我々は現在、法治により、困難な人民の状況に、強い国が介入し、その国民を助け、より良い統治を受けられるようにすることが、国家の義務であり、世界の進歩にも役立つ世の中に生きています。
-米陸軍長官ウィリアム・タフトの演説、1907

マルクスとタフトはそれぞれ、英国のインド支配と日本の韓国支配を正当と考えた。マルクスは、英国のインド支配が古いアジア社会を破壊し、西欧物質文明の基礎を築く歴史的使命を果たすことだと考えた。 タフトは、日本が韓国民衆の正義と文明を高めるだろうと演説した。 当時の列強はアジアを植民地として支配することを望ましく考え、このような観点は当時の西洋人たちがアジアを眺める普遍的な態度であった。

 

-考えを育てよう-
日本の国権侵奪とその過程

資料1
乙巳勒約(1905)
第2条 韓国政府はこれから、日本国政府の仲介を経なければ、国際的性質を持ったいかなる条約や約束も結ばないことをお互い約束しあう。

 

第3条 日本国政府は、その代表者として韓国皇帝陛下の下に1人の統監を置くが、統監は専ら外交に関する事項を管理するために京城に駐在し、直接韓国皇帝陛下に会う権利を持つ。

『高宗実録』

 

資料2

丁未七条約(韓日新協約、1907)
第1条 韓国政府は施政改善に関して統監の指導を受けること。
第2条 韓国政府の法令制定及び重要な行政上の処分は、あらかじめ統監の承認を受けること。
第4条 韓国高等官吏の任免は、統監の同意をもってこれを行うこと。
第5条 韓国政府は、統監の推薦する日本人を韓国官吏に任命すること。

 

(附属覚書)第3条次の方法により軍備を整理する。
1.陸軍1大隊を存置し、皇宮守衛を担当させ、その他を解散すること
第5条 中央政府及び地方庁に日本人を韓国官吏として任命する。
1.各部長官
『純宗実録』

 

資料3 韓国併合条約(1910)
第1条 韓国皇帝陛下は、韓国全てに関する一切の統治権を完全かつ永久に日本皇帝陛下に譲与する。
第2条 日本国皇帝陛下は、第1条に掲げる譲与を受諾し、また、完全に韓国を日本帝国に併合することを承諾する。

『純宗実録』

 

1902.1 第一次日英同盟
1904.2 日露戦争(~1905)
日韓議定書
1904.8 第1次日韓協約
1905.7 桂タフト密約
1905. 8. 第二次日英同盟
1905.9 ポーツマス条約
1905.11 乙巳勒約
1907. 6 ハーグ特使派遣
1907.7 丁未七条約
軍隊解散
1909.7 己酉覚書(司法権剥奪)
1910.6 警察権剥奪
1910.8. 韓国併合条約

 

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オリオン
2021年5月3日 1:33 AM

あきれるばかりの教科書。どこをどう突っ込もうかと言うくらい、いい加減な
内容だが、とりあえず気になるのが、明治国王と書きながら皇室と書くといういいかげんさ。
それと日本は国王で朝鮮は大韓帝国皇帝と書いている厚かましさ。
また朝鮮における日本とロシアとの対立で日本が先に戦争を仕掛けたように書いているが
日本は、日韓議定書が先に決められてから権利を持って軍事行動を起こしていることが抜けている。
意図的だろうが。当時の朝鮮は今がダメならロシアを引き込みロシアの横暴が目立てば
日本を引き込み、事が終わったらまたロシアを利用しようとする、蛙外交であった。
これを阻止するため日本としては、防衛上の乙巳条約であり、この条約に至ったのは朝鮮の不義が招いた結果である。
いいかげんな教科書だな。まさしく反日製造機。

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