韓国は靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由に、首相や閣僚が参拝する事を問題視しています。
靖国神社にA級戦犯が合祀されたのは1978年10月17日。
合祀が公になったのが1979年4月19日。
これ以降の韓国の報道を見ると、韓国が靖国神社を問題視し始めたのは1979年ではありません。
※ネイバーニュースライブラリ(京郷新聞、東亜日報、毎日経済、ハンギョレ)で『靖国(야스쿠니)』『靖国神社(정국신사)』というキーワード検索
정국신사(靖国神社)での検索結果。1970年代までは年に数件の記事はあるが、いずれも靖国神社参拝に対する批判ではなく、日本統治時代を振り返る内容や、日本の文化・歴史に関する内容。
※記事【】はネイバーニュースライブラリでヒットした記事タイトルです。
年 | 月日 | 事項 | 首相 |
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1946 | 5月20日 | 記事【歓楽歌となった浄国神社】 | 幣原喜重郎 |
5月22日 | 幣原喜重郎首相、靖国神社参拝 | ||
1948 | 10月15日 | 吉田茂首相、靖国神社参拝 | 吉田茂 |
11月26日 | 記事【村長らに一言】 | ||
1952 | 5月3日 | 記事【七年ぶりに国家主権を探した日本】 | 吉田茂 |
10月17日 | 吉田茂首相、靖国神社参拝 | ||
1962 | 記事3件。いずれも靖国神社批判のものではない。 | 池田勇人 | |
11月4日 | 池田勇人首相、靖国神社参拝 | ||
1965 | 4月21日 | 池田勇人首相、靖国神社参拝 | 佐藤榮作 |
8月5日 | 記事【維新が亜細亜連結うんぬん 日本語怪書出回る】 | ||
1968 | 4月23日 | 佐藤榮作首相、靖国神社参拝 | 佐藤榮作 |
10月28日 | 記事【日本の明治100年祝典-国論が分裂したナショナリズム運動の底辺】 | ||
1969 | 3月1日 | 記事【靖国神社復活反対の日本平和主義者たち】 | 佐藤榮作 |
4月22日 | 佐藤榮作首相、靖国神社参拝 | ||
10月18日 | |||
1971 | 4月21日 | 佐藤榮作首相、靖国神社参拝 | 佐藤榮作 |
5月31日 | 記事【靖国神社国家護持論の表裏】 | ||
10月19日 | 佐藤榮作首相、靖国神社参拝 | ||
1972 | 2月3日 | 記事【ちんぷんかんぷんな話】東亜日報に掲載されているコラムですが、この時は横井庄一さんについて | 佐藤榮作 |
4月22日 | 佐藤榮作首相、靖国神社参拝 | ||
7月8日 | 田中角榮首相、靖国神社参拝 | 田中角榮 | |
1973 | 3月6日 | 記事【我が文化<28> 音楽(13) 日帝下の室内楽】 | 田中角榮 |
4月23日 | 田中角榮首相、靖国神社参拝 | ||
10月18日 | |||
1974 | 4月 | 記事19件。全てが靖国神社法案について。軍国主義復活のために国有化したという内容。靖国神社に関する報道は増えたが、日本の軍国主義、右傾化を心配する内容で参拝への批判無し。その後も変わらず首相は靖国参拝を続ける。 | 田中角榮 |
4月23日 | 田中角榮首相、靖国神社参拝 | ||
10月19日 | |||
1975 | 4月22日 | 三木武夫首相、靖国神社参拝 | 三木武夫 |
8月15日 | |||
8月16日 | 記事【三木、私的に靖国神社参拝】※現職首相が戦後初、私的に靖国神社を参拝したという内容。参拝事実と参拝に対する日本国内の反対勢力についてで、批判無し。 | ||
1977 | 2月11日 | 記事【電波時代に生きる(4) 時流に伴って千態萬態番組 ... 昨日と今日】 | 福田赳夫 |
4月21日 | 福田赳夫首相、靖国神社参拝 | ||
11月10日 | 記事【日本「韓国文化協会」会長の小見山氏、韓日「精神的和解」に努力】 | ||
1978 | 4月12日 | 記事【咸鏡道義兵戦功刻んだ北関大捷碑東京靖国神社で発見】同様の記事2件 | 福田赳夫 |
8月14日 | 記事【「日本は戦争責任を回避」姜信明牧師、東京「アジア証言」で演説】 | ||
8月15日 | 福田赳夫首相、靖国神社参拝 | ||
8月28日 | 記事【靖国神社を参拝する「福田赳夫首相」と「安倍」(安培真太朗)官房長官】 記事【日本、右傾化の季節—安保意識の変化と太平洋戦争の再評価】 ※記事内容は参拝事実のみで、批判無し。 |
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10月17日 | 靖国神社にA級戦犯合祀 | ||
1979 | 4月19日 | 靖国神社、A級戦犯合祀報道 | 大平正芳 |
4月19日 4月20日 |
記事【日本、東條など戦犯14人、殉国者として奉安物議】同様の記事2件 | ||
4月21日 | 大平正芳首相、靖国神社参拝 | ||
4月23日 | 記事【日戦犯と靖国神社】 【ちんぷんかんぷんな話】 |
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4月24日 | 記事【A級戦犯、靖国神社安置・元號法通過の底辺右傾化が進む日本】 記事【写真-大平】※靖国神社に参拝する大平正芳首相の写真。批判無し。 |
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5月12日 | 記事【右傾化する日本野党】 | ||
8月16日 | 記事【日本人と反戦行事】 | ||
10月18日 | 大平正芳首相、靖国神社参拝 | ||
1980 | 4月21日 | 大平正芳首相、靖国神社参拝 | 大平正芳 |
8月15日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | 鈴木善幸 | |
8月16日 | 記事【神社参拝鈴木日首相】 ※記事内容は参拝事実のみで、批判無し。 |
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10月18日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | ||
11月21日 | |||
1981 | 4月21日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | 鈴木善幸 |
4月23日 | 記事【日本、自民議員195人、神社参拝を一部基督教人士・總評、大きく反発】※日本国内の反対勢力についての報道。批判無し。 | ||
4月24日 | 記事【日本防衛力増強の動き】 | ||
5月6日 | 記事【5月の年例行事、日本、改憲主張】 | ||
8月15日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | ||
9月26日 | 記事【増える、日本の右翼団体】 | ||
10月17日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | ||
12月9日 | 記事【真珠湾攻撃40年、反省しない日本人】 | ||
1982 | 4月21日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | 鈴木善幸 |
6月 | 教科書問題。『侵略』→『進行』 | ||
8月15日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | ||
8月16日 | 記事【8月15日を「戦没者追悼の日」として、今年から公式行事】 ※日本の右傾化を心配する内容ではあるが、靖国神社参拝への批判無し。 |
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10月18日 | 鈴木善幸首相、靖国神社参拝 | ||
この年は上記を含め20件の記事があった。教科書問題を発端に日本が過去を美化しているという内容や、日本の良識を疑う、日本の歴史に関する内容。参拝への批判無し | |||
1983 | 4月21日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | 中曽根康弘 |
8月15日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | ||
8月16日 | 記事【東京で見る「敗戦の日」 日帝美化「8月の熱病」】 | ||
10月5日 | 記事【世界の緊張は「覇権」が作る】 | ||
10月18日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | ||
この年は上記を含め7件の記事があった。参拝への批判無し | |||
1984 | 1月5日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | 中曽根康弘 |
1月6日 | 記事【中曽根、神社参拝、日本首相としては初めて】※現職首相の年頭参拝は戦後初。靖国神社への批判無し。 | ||
4月21日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | ||
8月15日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | ||
8月16日 | 記事【日本、敗戦から39年...中曽根、神社参拝】※記事内容は参拝事実のみで、批判無し。 記事【日本の変貌39年<10>風化する侵略の歴史】※外国人犠牲者への追悼は言及を避ける、敗戦を忘れて回帰しているという内容。参拝への批判無し |
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10月18日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | ||
この年は上記を含め12件の記事があったが、いずれも批判無し。 | |||
1985 | 1月21日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 | 中曽根康弘 |
4月22日 | |||
7月26日 | 記事【日首相神社参拝を決定 来月15日に】※読売新聞が公式参拝を報道したことにより、東亜日報が引用する形で報道。政教分離に視点を置く。同様の記事2件。参拝への批判無し。 | ||
8月10日 | 記事【日首相の神社参拝、15日に公式断行へ】※5日後に迫った公式参拝を伝える内容。靖国神社に関する簡単な説明と戦後はマッカーサー司令部により閣僚の公式参拝が禁止されていた、それを今回初めて首相が公式参拝するという内容。日本の状況を伝える記事で、参拝への批判無し。 | ||
8月15日 | 中曽根康弘首相、靖国神社参拝 ※現職首相として初めて公費から供花料を支出する公式参拝を行う |
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記事【中曽根、神社参拝後、戦災者追悼式出席】記事【日本、中曽根首相「靖国神社」公式参拝】参拝への批判無し | |||
8月16日 | 記事【靖国神社、公式参拝】記事【中ソ、神社参拝非難】などこの日に6件の記事。前日の公式参拝や、日本の反対勢力の状況、靖国神社とはどのようなものかを説明する内容。参拝への批判無し。 | ||
この年は上記を含め31件の記事があった。この年から韓国政府も靖国神社を問題視し始め、次第に外交問題に発展していく。 | |||
1986 | この年は前年の2倍、62件の記事。1985年8月15日の公式参拝を最後に、首相の靖国神社参拝が11年間中断する。その後、橋本龍太郎首相が1996年7月29日に参拝。 | 中曽根康弘 |
過去の報道を見ると、A級戦犯の合祀が公になった時期と靖国神社が問題視され始めた時期に大きくずれがあることが分かります。
合祀が公となってから6年間、靖国神社への参拝を批判する記事はありませんでした。
1985年、中曽根首相が公式参拝を明言してから、朝日新聞が大々的に報道を始め問題が大きくなります。